東日本大震災から10年、弁理士としてやったことを振り返る

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弁理士 実務 独学 チワワ

2011年3月11日

震災当日は丸の内のビルで勤務をしていました。
激しい揺れの中、包袋が並ぶ棚が倒れないように支えている同僚を呆然と見ていたことを覚えています。

揺れが収まった後で、誰となくフロア内の全員の無事を確認し、一人と連絡がつかないことがわかり(後でビル外で震災に遭って非難していたことが判明)、連絡を取ろうと苦労しているときにPCに映し出されたのが、津波の映像でした。
何だか映画のような非現実的な世界に入ってしまい、そこからは今でも現実的でないような記憶になっています。

当日はバス、電車、車などの交通機関がストップしてしまい、徒歩で帰宅することになりました。
一部の同僚は、帰宅を断念して事務所で夜を明かしたと、後日聞聞きました。
なお、徒歩での帰宅については、以下の記事でまとめています。
【東日本大震災】徒歩で帰宅して

募金

最初の支援として考えたのは募金でした。
そして、まずは教材の売り上げなどを個人として寄付しました。
【東日本大震災】売り上げの半分を寄付します。

その後も、折を見て寄付金を募って募金をさせていただきました。
あの時にご協力いただいた皆様には、改めてお礼申し上げます。
ご協力ありがとうございました。

弁理士として何ができるか?

漠然と何か支援したいという想いが高まり、また、自分の専門性が何か役に立たないかと考えました。
そこで、Twitterでつながった方々からアイディアを頂いて、弁理士会に提案することにしました。

ネットの意見を取りまとめて弁理士会へ提案したところ、それが奥山会長(当時)の目に留まったようで、そのまま会長直属の復興プロジェクト本部に入ることになりました。
今思えば、提案した私もアレですが、その私をそのまま登用するというのも凄いですね。

弁理士に何ができたか

結論から言えば何もできませんでした。
具体的に、弁理士会での報告としては「日本弁理士会による震災復興支援について」に譲ります。
ただ、唯一の成果である「特許出願等復興支援制度」は、今も制度として残っています。
そのため、激甚災害が発生した際には、弁理士会の当該支援制度が自動的に開始されるような仕組みになっています。
いろいろと苦心した結果、唯一被災地に必要とされる支援制度を10年経っても動くように仕込めたのは、まぁよい仕事だったと思います。

それに、出願支援しかできないということが分かったのは、ある意味で大きな収穫でした。
・・・
でも、今はもしかしたら違うかもしれません。

災害なんて起きない方がいいですが、もし災害が起きてしまったら、その時には何かできることがあるかもしれません。
災害が起きないことを願いつつ、万一の際には何か力になりたいと、やっぱり10年経ってもそう思います。

※よろしければ、こちらもご覧ください。
東日本大震災後に弁理士ができたこと

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